坂茂 の《ショウナイホテル スイデンテラス》 SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSEに泊まってみました。
《ショウナイホテル スイデンテラス》は山形県鶴岡市にあります。その名の通り、米どころを象徴する庄内平野の水田(★1)の中に建っています。
見晴らしの良さ、空の大きさなど、田んぼが広がる大らかな風景は、建て込んだ都会の街並みを見慣れた目には、今や新鮮に映ります。
水田を渡るように長いアプローチが設けられ、その先に展開する世界への精神的ゲートとなっています。この長いアプローチは、日常から少し距離を置いたリゾート(非日常)的な時空が始まることの宣言なのです。この木を組んだ矢来(の一種)のような造形は、乾燥のために稲架(はさ)がけされた稲を思わせるような、かつては日本の田んぼのいたるところで見られた風景を喚起するようなデザインです。
建築の設計はプリッカー賞受賞建築家の 坂茂 です。意外にも 坂茂 が手がけた初めてのホテルだそうです。
水田の広がりの中に、宙に浮くように持ち上げられたテラス状の建物がたたずむ様子は、なかなかダイナミックです。RCとガラスによる低く伸びるヴォリュームに折り紙のような造形の木の屋根が乗った建物は、モダンであり、かつリージョナルでもある、そんな建築として、大らかな庄内平野の風景によくなじんでいます。
外の風景が貫入するガラスのエントランスホール。ホテルらしからぬ素っ気なさが潔くて好印象です。入ってすぐのところに吹き抜けの階段があり、2階にはレセプションをはじめ諸機能が集められています。インテリアや家具には坂茂おとくいの紙菅が使われています。
客室ゾーンへは共用棟からそれぞれガラスブリッジを渡ってアクセスします。ここでも<渡る>という行為による象徴作用が意図されています。客室ゾーンは3つの棟に分かれており、宿泊棟の先には温泉施設(スパ&フィットネス)があります。
ホテルの廊下特有の閉塞感がないのは、要所要所に設けられたヴォイドから外や地面が望めるからです。同時にこのヴォイドは、外を通ってそれぞれの客室へと至るというコテージスタイルの客室をイメージさせ、リゾートらしい雰囲気を醸し出す仕掛けともなっている秀逸なアイデアです。
シンプルかつナチュラルテイストの室内。壁の一部には外壁と同じタイルが使われています。ファブリックによるしっとり系テイストが主流をなすホテルインテリアへのアンチテーぜとなっています。極力余計なデザインを排したモノでそろえた客室備品もまたしかりです。
四周がガラス張りで天井の高い共用棟には、気持ちの良い開放的な空気が漂っています。コンクリートとガラスと木のバランスもいい感じです。
レストランには大きなテラスが付属しており、残念ながら冬場は使えませんが、水田を渡る春風の心地よさ、強い日差しを逃れた夏の日の無為の時間、秋の夕陽に照らされた逆光の眩しさなど、そこでのひと時は、さぞかし心奪われそうだと想像できます。
大人のリゾートを謳い文句にしたような重苦しさがないところも好感が持てます。レストランは子供連れの家族でいっぱいであり、親子そろっておしゃれな部屋着で共用棟を闊歩する様子は、オープンでフレンドリーで、まさに滞在型リゾートの雰囲気の、非日常的日常性とでも表現できそうな、独特のゆるーい空気感を生んでおり、このホテルの個性を決定づけるのに重要な役割を担っています。
ホテルの個性は、空間やデザインもさることながら、こうした空気感によって左右されます。
子連れ客が多いのには理由があります。もともとこのホテルは、隣接して建てられている全天候型児童施設《キッズドーム ソライ》の収益基盤となる意図で始めれており、恐らくホテルとタイアップした子育て家族向けの企画などがあるのでしょう。
このホテルの大きな魅力となっているのが共用棟に設けられたライブラリー。本棚に並ぶ1,000冊のなかから気になった本を手に取ってその場でパラパラと眺めたり、そばのテーブルやロビーのソファで試し読みをしたり、あるいは部屋に持ち帰ってベッドのなかでじっくり読んだりなど、本とさまざまな空間とがシンクロして生まれる至福の時間を楽しめます。
食、旅、音楽、アート、人類学、庄内など、「バッハ」の幅允孝さんによる周到なブックセレクションは、こうした思いがけない出会いや刺激を用意してくれます。
鶴岡の旧藩校だった致道館博物館には西郷”南洲”隆盛の座右の銘だった「敬天愛人」の額が飾られています。
江戸の薩摩藩邸を焼き討ちするほどの過激な佐幕派だった旧庄内藩の鶴岡になぜ、西郷南洲の額が架けられているのでしょうか。官軍の総指揮官だった西郷は、降伏帰順した庄内藩に対して、寛大な態度で対処します。それに感激した庄内藩は一転、藩を上げて西郷を敬愛するようになり、両藩の交流が始まったという史実がそこにはありました。
書物を残さなかった西郷の言葉が唯一記された「西郷南洲遺訓」を編纂したのも荘内藩士でしたし、西南戦争では庄内藩の若者2名が西郷軍として命を落とし、桜島を望む南洲墓地に眠っています。
西郷が斃れた後、明治の日本が目指した近代化とは、つまるところ集権化であり、工業化でした。
それ以降、地方と農業は忘れ去られ、その結果、今日の東京以外の日本全国で起きているのが、農業や地域産業の衰退、人口減、商業のショッピングモール化やチェーン店化、そして中心市街地の空洞化です。
鶴岡も例外ではなく、かつてのメインストリートは、空き地、空き家、閉じられたシャッターばかりが目立つのが現実です。
《ショウナイホテル スイデンテラス》が建っている場所は、水田とはいっても、慶応義塾大学先端生命科学研究所やバイオベンチャー企業などの最先端の研究所や企業が集積する鶴岡サイエンスパークの一画にあります。《スイデンテラス》はサイエンスパークの土地の一部を農転して作られており、技術系ではありませんが、鶴岡発のベンチャー企業であるヤマガタデザイン株式会社が企画・運営し、県や市や地元資本がバックアップしています。
かつての水田がスイデンとなって、都市では味わえない空間や時間がひとを惹きつける。《スイデンテラス》の試みは、まぎれもなく<日本の近代>の先、つまり旧来の集権的、OLD産業的ではない、分散的かつ次世代的試みといえましょう。
鶴岡は「ユネスコ食文化創造都市」 UNESCO Creative Cites of Gastronomyに認定されているように、日本海の海の幸、在来野菜、山菜、日本酒など食材の宝庫であり、そうした地域の山・里・海などの自然が育んだ食文化が息づく場所でもあります。同じ「食文化創造都市」としてはスペインのバスク(都市としてはビルバオ)が認定されています。今や食都として世界に名をはせるバスクですが、かつては言葉もスペイン語とは全く異なり、テロも辞さない過激な独立運動を闘ってきた歴史を持った、国をものともしない個性を有する地方です。
バスクのように、ガストロノミーをキーワードに、鶴岡における分散的、非集権的なムーブメントが盛り上がる可能性も十分に考えられます。
NEXT GENERATIONに目を向けて、果敢にチャレンジする鶴岡を注視・応援したいと思います。
(★)水田とはいっても、農転して農地ではなくなったため、食糧用のイネの栽培は許可されていないのだそうです。維持管理や修景上の問題があるのかもしれませんが、本物の米が植えられる水田として、宿泊客が田植えや稲刈り、脱穀などの農作業に参加・体験できる、そして自らが育てたお米をレストランで食べられる、さらにそれがガストロノミー・ツーリズムのネタなって、日本中あるいは世界中のひとを惹きつける、などの展開になれば理想的ですね。
以上
text by 大村哲弥