コロナ 都市

 

世界中に蔓延している新型 コロナ ウイルス感染症(COVID-19)は、建築や都市にどんな影響をもたらすのだろうか。

 

イギリスの新聞「ガーディアン」The Gardianは4月13日付記事でコロナウイルスの後の建築と題した記事を掲載した(Oliver Wainwright, Smart lifts, lonely workers, no towers or tourists: architecture after coronavirus, 13 Apr 2020, @the guardian.com)。

「大胆予測!虚構未来。コロナの時代の建築と都市<上>」に続き、「ガーディアン」の記事を案内役に、コロナ時代の都市と建築を大胆予測した虚構未来を語る思考実験を試みよう(★1)。信じるも信じないもあなた次第。引用はすべて同記事から。

 

 

ウォーカブル&ローカルなサスティナブル・シティへ

 

現下の危機を、都市の構造はどうあるべきかという、これまでの根本の前提を冷静になって見直す良い機会ととらえる者もいる。

 

「今こそ、歩いて暮らせる都市(walkable city)を考えるのにふさわしい時期だ」。デルフト工科大学のデザイン政治学教授のウォウター・ヴァンスティファウト(Wouter Vanstiphout)は主張する。「都市には数多くの病院があり、人びとはひしめき合って暮らしているにもかかわらず、わたしたちは、病院に行くのに長い距離を移動しなければならない。小規模な単位の病院や学校をもっと都市組織全体に分散配置し、複数のローカルセンターの強化を図るべきだいうことを今回のパンデミックは示唆している」

 

ヴァンスティファウトのアムステルダムに住む友人が気がついた不都合な事実が紹介される。「観光がストップし、Airbnbが空室になってはじめて判った。僕たちに隣人もなく、ご近所もなく、街もないんだ。観光客を除いたらなにもなかったんだ」

 

都心のゴーストタウン化と住宅地での「おウチ3密」というポスト・コロナのアンバランスを解消するため、ガラガラの都心のオフィスは住宅としてコンバージョンされ、ひとが戻りお店が再開し、住宅地における空き家は格好のソーシャル・ディスタンシング・サテライト・オフィスとして借り手が殺到する。老朽化した住宅は自然換気性能が抜群だ。

 

その結果、都心も住宅地も、ウイークデーもウイークエンドも、24時間・365日にわたり、ひとの暮らしがあり、顔の見える商店があり、働く人が割拠する、それぞれに個性をもった職住近接のコンパクトなローカルシティ(地元都市)として共存してゆく。

 

地価は都心からの距離に反比例するという不動産価格理論は修正を迫られ、不動産マーケットは激変する。

 

失速するタワーオフィス、タワーマンション。住宅もディスタンシング化する

 

「大胆予測!虚構未来。コロナの時代の建築と都市<上>」で登場したフォスター&パートナーズ社のワークプレイス・チーム・リーダーを務め、現在、ザハ・ハディド・アークテクツとコラボしている建築家兼コンサルタントのアルジュン・カイクラー(Arjun Kaicker)はこう予測する。

 

「オフィスの廊下は広くなり、出入口は大きくなり、部門間のパーティションが多くなり、階段も増えるだろう。家具も変わる。オフィスのデスクは1.8mから1.6m、今は1.4mかそれ以下へと、これまで年々、小さくなってきているが、今後は逆に大きくなるだろう。一人当たりの最低面積やエレベーターの上限人数の制限なども始まるだろう。その結果、高層ビルは建設コストが上り、経済的なメリットが少なくなり、タワーオフィスやタワーマンションを開発する魅力は低下する。これらのことは連鎖的に都市のスカイラインに大きな影響を与えることになる」

 

ひとの密度が高く、自然換気が難しく、廊下やエレベーターでの密集・密閉を避けられないタワーオフィスやタワーマンションの開発は、今後、急速に失速していくだろう。

住宅も変わる。365日、常時リモートワークが可能なように住宅のオフィス化が始まる。リビングルームが死語となり、家族それぞれがいざとなったら自宅で2週間の自己隔離が可能なプライベート・ルームを持ち、そこで仕事、勉強、食事、就寝を行うスタイルが標準となる。高級物件では感染症指定医療機関並みの陰圧室仕様のパーソナル・ルームも出始めている。普段の家族の会話もZoomを介して行われ、玄関が拡張されファミリーホールと呼ばれるようになり、家族の団らんは検温後にそこで窓を開けてというスタイルが定着する。非接触でamazonやネットスーパーの荷物が受け取り可能で、自動除菌機能付きのWHO認定のアンチ・ウイルス型宅配ボックスが必須アイテムとなろう。

 

ミラーワールドというフロンティア

 

激変する地価と不動産マーケットだが、新たなフロンティアも生まれる。ミラーワールド不動産というマーケットだ。

 

究極のリモートワークの行く着く先は、オフィスが不要となった世界だ。オフィスがなくなっても仕事がある限り企業労働者は一向に困らない。むしろ満員電車の苦労と感染リスクがないだけましだ。

 

一方で困るのが、上司や会社の悪口で盛り上がる場、伝統行事として生き残っている昭和スタイルの飲みニケーションの場、相変わらずの男子社会に日ごろの鬱憤を爆発させる女子会の場など、憂さ晴らしの場、そしてお得意様との接待の席だ。

 

今どき開いてる店は限られる。もぐり以外に店で、夜の酒席として飲食店を利用する場合は、管轄の保健所を通じて予約する必要があり、会食までは最低4日間、場合によれは10日近く自宅での経過観察が要請される。高級店においては、さらに参加者全員に来店前に最低2週間の自宅待機を求める店もあり、夜、複数で酒席を囲む行為はとてつもなくハードルが上がっている。何故、日本ではもっと手軽に飲食店が利用できないのか、国民の不満がたまっている。

 

こうしたアフター・ コロナ の国民の不満を解消する救世主として急浮上するのがAR(Augmented Reality、仮想現実)を使ったミラーワールド不動産マーケットだ。

 

ミラーワールドとは現実と同じサイズの3D地図が作られ、リアルとヴァーチャルが相互浸透する世界。デジタルツインと呼ばれる、ヴァーチャルに生成され、ARグラスなどを介して現実感、没入感のあるもうひとつの世界が出現する。進化したデジタルツインには、自分自身のデジタルツイン(アバター)も存在しており、現実の自分とリアルタイムで同期しながら暮らしてる。

 

ミラーワールドでは、デリバリーアプリを使って飲み物や料理を「同期」すれば、行きつけの新橋の居酒屋でいつもの仲間とくだを巻くこともできるし、三ツ星レストランのシャンパン・ブランチをセットして女子会で見栄を張ることも、得意先の社長を招待して高級料亭の個室で接待することも可能だ。

 

ストレスで悩んでいるのはサラリーマンだけではない。ミラーワールドでは、子供達はグランドや公園で友達と遊べるし、お母さんもママ友と疑心暗鬼から解放されておしゃべりに興じることができるし、リタイア老人は同窓会で濃厚接触が許されていた時代への郷愁を語り合うこともできる。若者がライブハウスで叫んだり、キャバクラに出入りしても後ろ指をさされることもないし、もちろん、銀座でのショッピングやパチンコや海外旅行だって可能だ。なんだったら過去への旅行もできるかもしれない。

 

リアリティという定義が変わり、この隔靴掻痒のような希薄は現実感を人は当たり前として受け入れてゆくだろう。

 

グローバル都市への熱狂の終焉。改めて気づくパブリックとソーシャルという価値。

 

「グローバル・シティ・ブースタリズム(global cities’ boosterism注:グローバル都市に対する熱狂的支持)は打撃を受けるだろう。大都市の流動的なネットワークについてはさまざまに言われてきたが、今大切なのは、むしろそれよりも、安全な場所と感じられる都市、家庭のように感じられる都市、ずっと住める場所だと実感できる都市である」。

「今回の出来事は、働くために一時的に大都市に移り住まなければならないという現実を引き起こしている不平等、ギグ・エコノミーそして公共サービスの荒廃に対する警告なのだ」前掲のヴァンスティファウトは言う。

国際都市間競争、インバウンド、オリンピック、IRなど、グローバル都市ブームに乗り遅れまいとするさまざまな都市政策は再考を迫られるだろう。

新型コロナ ウイルスは建築や都市にとって、ほんとうに大事なものはなにかを教えている。

新型コロナ ウイルスがこれからの建築と都市に突き付けているのは、パブリック(人びとのため)とソーシャル(社会正義)という、古くて新しい概念だ。

ディスタンシングも、コンタクトレスも、ヴァーチャルリアリティも、そのための手段でなければなんの意味もない。

近代都市計画は、産業革命により劣悪化する都市の公衆衛生(public health)という概念からスタートしており、モダニズム建築の問題意識の根底にあったのも、労働者の住宅難、都市環境の悪化、スプロールなどを解決する社会改革だった。

 

「建築か、革命か」。若きル・コルビュジエはこう宣言した

なんのことはない100年たって振り出しに戻ったという話だ。

 

パンデミックによって社会はなにも変わらない?

 

ここまで書いてきて、最後にこういうことを言うのもなんだが、この度の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、社会はなにも変わらないかもしれない。

 

セント・アンドリュース大学の医療人類学者のクリストス・リンテリス(Christos Lynteris)は、 コロナ ウイルスによって、なにかが大きく変わるという考え方に懐疑的だ。その良い例が2003年のSARSのパンデミックのケースだという。

 

「一過性で終わったパンデミックに関して言えば普通はまったくインパクトを持たない。繰り返し起こってはじめて人は注意するようになるのだ」。医療人類学者は警鐘をならす。

 

once on shore、we pray no more (一旦、海岸にたどりつけば、ひとはもう祈ることはしない)

 

「喉元過ぎれば」に類することわざは世界中の言語にある。

 

 

text by 大村哲弥

 

(★1)言うまでもないが、「ガーディアン」の記事が本稿で展開しているような未来像を主張しているわけではない。

(★)本稿は2020年4月28日に書かれた。

(★)トップ画像 photo by Kazuki HIRO

 

 

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