「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」丹下健三自邸

(2018年4月25日~9月17日@森美術館)では目玉として2つの巨大模型による作品が展示されている。

<前編>では、妙喜庵待庵(みょうきあん・たいあん、1581年、京都府)の原寸模型を見たが、<後編>では、すでに現存しない 丹下健三自邸 (A Houuse/Tange House、1953年)の再現模型を見てみよう。こちらは1/3スケールで作られている。

巨大とはいえ模型なので全体が目視できて、写真で見るよりも建物のコンセプトが一目瞭然に分かる。 主階を空中に持ち上げたこの長方形平面の木造建築は、ピロティというよりは高床と呼ぶのにふさわしい寝殿造りを再現した建築だった。張り出したバルコニーや垂木や手摺の造作が神社建築を思わせる。

丹下健三

建物を正面から撮った写真や妻面をカットした写真が主に流布しているので、いつの間にか空中に浮いたフラットルーフ(またはそれに近い)の横長建物とばかり思っており、漠然とコルビュジエのサヴォア邸(1931年)やミースのファンスワーズ邸(1951年)のイメージに近い建築と思っていたが違っていた。ちゃんと勾配がついた切妻屋根(しかも二重の)が乗った日本風の住宅だった。

丹下健三 自邸

(*source: https://hr.wikipedia.org/wiki/Datoteka:Tange_House.jpg)

丹下健三 自邸

(*source: http://arqvac.tumblr.com/post/93771906329/tange-residence-in-tokyo-japan-by-kenzo-tange)

丸柱ではなく角柱を使ったてところなどは、桂離宮などの書院造りを思わせる。木造軸組みによる細い垂直と水平による構成、厚さや重さが欠落したようなイメージの襖や障子による壁面構成など、その抑制された繊細なイメージは桂離宮そのものだ。室内空間の表現はさらなる簡素・抑制による日本的な美しさをたたえている。

 

今回の模型はスケルトン状態で再現されており、障子や襖や壁などの面的要素は省略されている。宮大工の手により、細い障子の桟までが忠実に再現されているのが見事だ。

丹下健三 自邸

日本風とはいえ、高床の下の空間をアプローチやテラスとして活用しているところは、コルビュジエのピロティの発想である。その居心地の良さそうな空間はコルビュジエのピロティをさらに進化させた姿とも言える。

内部プランに関してはファンズワース邸の構成そっくりだ。ピロティを介して導入することによって、ユニバーサルスペースの無方向性がより際だっている点では、丹下自邸はミースのコンセプトをさらに純化させているとも言える。

建具の鴨居の上の欄間に当る部分にはすべてガラスがはめ込まれており、また、壁も天井まで至っておらず、畳敷きで襖や障子を主体とした日本的なインテリアにもかかわらず、決定的にモダンな印象を作り出している。

丹下健三自邸

傾斜天井の下で部屋と部屋がつながって空間が流動する様子は、どこかで見たなと思ったらアイクターホームによるポスト&ビーム工法で建てられた平屋の住宅に似ているのだった。ちなみにアイクラーホームのお手本はフランク・ロイド・ライトの流動する空間であった。

 

極めて日本的でありながら、同時にモダンでもあるという、終戦から8年目にできたこの木造住宅は、当時における日本の伝統と西洋モダニズムの葛藤、格闘、統合の一形態を垣間見せてくれる。

あえて寝殿造りや書院造りという日本的建築のイメージにこだわり、そこに宿る、モダニズムを先取りしたかような簡素で抑制された美を見せながら、同時にモダニズムのコンセプトを純化させようとする企てに、どこか丹下健三の意地のようなものを感じる。

やはり邪魔だったのが日本風の屋根だったのだろうか。正面からは勾配屋根の存在がなるべく分からないように考えられたゆるい傾斜、屋根ではなくて薄い庇のように見える軒先のシャープな造形、さらには、先に記したような、屋根勾配や切妻面を決して見せないように周到に計算されたカメラアングルによる建築写真の印象操作などがそれを物語ってはいまいか。

 

後年、丹下健三は、バウハウスを辞したモホリ=ナジ・ラースローが開設(1937)した「ニュー・バウハウス(シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン)で学んだ写真家・石本泰博との共著『桂離宮 日本建築における伝統と創造』(1960)において、むくり屋根をカットしたフレーミングにより、水平と垂直のエレメントだけで構成された「モダニズム」としての桂離宮を「創造」した。

丹下と石本による、このトリミングされた桂は、日本の伝統はモダニズムの先駆として再発見されなければならないという一種のテーゼであり、そのアイディアは、この自邸における勾配屋根の存在に感じたある種の決定的な限界に起因しているのかもしれない。

今回の巨大展示模型で確認された勾配屋根や切妻の存在感は、そんな憶測を抱かせる。

丹下健三はこの自邸以外で個人住宅を設計していない。また、この自邸を作品として発表する気はないとも言っていたそうだ。その後丹下は、こうした桂的繊細さによる表現を離れ、コンクリートのマッシブさを前提としながら、日本の伝統とモダニズムをさらに高いレベルで融合させた独自の表現を模索することになる。

そのひとつの達成が、モダンでもありかつ日本的でもあるという、独創的な屋根の表現として結した「国立屋内総合競技場(現国立代々木競技場)」であった。

KENZO TANGE>はイタリア語のサイトだが、丹下自邸の当時の写真や詳しい図面が掲載されていて作品の全貌がよく分かる。

以上

text by 大村哲弥

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