『建築的欲望の終焉』、『負ける建築』、『自然な建築』、『反オブジェクト』。著作の題名をたどるだけで建築家  隈研吾 が目指してきたものが、一貫して<反建築>であることが分かる。

隈本人の言葉で言えば「自己中心的で威圧的な建築を批判したかった」ということになる。隈はそうした建築をくオブジェクト>と名づけた(『反オブジェクト』 2000年初版)。モダニズム建築もその例外ではない。「透明性と開放性を基本テーマとして出発したはずの二十世紀のモダニズム建築さえも、実はオブジェクトという病に深くおかされているのである」

反オブジェクト建築を目指し孤独な格闘を続けていた、バブル崩壊後の失われた十年といわれ、自身も「底なしの海底」のような状況にあったという2000年前後に、 隈研吾 は<物質>を発見する。

「オブジェクトを否定し、形を否定しても、物質だけは否定いしようがない。(中略)物質という否定しようがない、確実なものにたちかえったことで、自分の建築ははっきりと変わり始めた。海の底にあって、倒れも壊れもしない岩盤、物質に出会ったのである。底の底ではじめて、建築をつづけるためのきっかけを手に入れることができた」と 隈研吾 は語って、<竹><木><紙><土><樹脂><繊維><膜>などの、鉄とコンクリートとガラスを主な素材とするモダニズム建築が見向きもしない、弱く、薄く、ゆるく、細く、軽く、繊細な、自然由来の素材に次々とチャレンジしていく。

「建築界はコンクリートしか見ないうちに認知症になった。(中略)コンクリートは単純で、原始的で、破壊的な建築構法といえる。時間がたてばドロドロしたものが固まって、びくとも動かない巨大な死体ができあがる。後悔しても手遅れである。(中略)コンクリートの大洪水の結果、20世紀の建築は、かつてないほどに、退屈で貧しいものになった」(展示図録 Kengo Kuma : a LAB for materialsに掲載された論文「物質にかえろう」から)

その後の 隈研吾 の活躍と存在感は周知のところである。

「くまのもの- 隈研吾 とささやく物質、かたる物質」展(@東京ステーションギャラリー、2018年3月3日~2018年5月6日)は、建築家  隈研吾 のそうした軌跡を集大成した、そして自らの建築のオリジナリティを宣言した建築展である。

その軌跡を、 隈研吾 自らの言葉とともにたどってみよう。

隈研吾-くまのもの

ゆるいジョイントで木を編む。ゆるく、自由なクラウド状の建築の未来を夢見る

「木は最も編みやすい素材である。編み物のすばらしさは、ジョイントがゆるいことで、だから服は、身体の激しい動きにも追従できる。木を編むときに僕らは同じようにゆるいジョイントをめざしている。襖や障子というユニットを木でつくって、ゆるいジョイントで本体に固定すれば、自由に変化し、形が変るゆるい建築もつくれる。木だからこそクラウド状の未来的な建築を夢見ることができる」

写真1は、ダイアゴナルのヒノキの立体格子で3階建ての建築を支える積層型の構造をつくった<サニー・ヒルス・ジャパン・2012>という作品の構造体。内部に骨格がある脊椎動物型のラーメン構造に対して、これは硬く構造的な外皮をもつ昆虫型構造だと解説される。写真の左に写っているのは4本のヒノキのスティックが一気に交わる<スターバックスコーヒー太宰府天満宮表参道店・2011>で使われたインテリアエレメント。

サニーヒルズ-構造体-隈研吾

(*写真1 : <サニー・ヒルズ・ジャパン>の構造体(右))

サニーヒルズ-構造体-隈研吾(*写真2 : <サニー・ヒルズ・ジャパン>模型)

http://kkaa.co.jp/works/architecture/sunny-hills-japan/

紙や土は液体である。紙や土を吹き付けるとリジッドな金属が曖昧で柔らかい存在に変化する

「和紙が液体と固体の中間にあるとしたならば、土は固体と液体と気体との間を漂っている。(中略)土壁は、濡れ雑巾でふけば、容易に液体に返って、雑巾のシミとなるのだから、土壁はまさに変幻自在であり、自由であった。この土の液体性を用いて、金属にガラスファイバーを混ぜた土を吹き付けると、冷たい金属であったものが、暖かく湿り気のある土へと転生する」

写真3の下に写っているのは<安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設・2002>で使われた地元山口県の豊浦土を使った日干しレンガブロック。上は<虫塚・2015>と題されたモニュメントで使われたガラス繊維を混ぜて土を吹き付けたステンレスメッシュ。在来工法の住宅ですら今や土を見ることはない。モダニズム建築において徹底的に排除されてきた故に、土の持つ粗くファジーな粒子性が今見るとむしろ新鮮だ。

隈研吾 安養寺

(*写真3 : <安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設>の日干しレンガ(下)と<虫塚・2015>のメッシュ(上))

隈研吾-安養寺-木造阿弥陀如来坐像収蔵施設

(*写真4 : <安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設>)

石も木と同様に生き物だった痕跡を内部組成として内包している。建築は生と死を見せることもできる。

「コンクリートの上にペラペラした石を貼るやり方が、特に嫌いで、テクスチャーマッピングでコンクリート建築を偽装しているようでそのウソっぽさに耐えられなかった。20世紀建築は、一言でいえばコンクリートの上のテクスチャーマッピングで勝負してきたわけである。(中略)石を塊として定義し直すと、石が表面上の模様としてではなく、さまざまな内部組成を持った、生き物として見えてくる」

写真5は、多孔質な軽石凝灰岩の大谷石のブロックを鉄板を補強材として使いながらダイアゴナル状に組んだ<ちょっ蔵広場・2005>の外壁。石の重量感やテクスチャーと浮遊感・抜け感という従来はありえなかったイメージが共存している。

隈研吾 ちょっ蔵広場

(*写真5 : <ちょっ蔵広場>の外壁)

隈研吾 ちょっ蔵広場

(*写真6 : <ちょっ蔵広場>)

ガラスはただの透明でも、ただの無でもない。ガラスは、土であり、火であり、液体でもある。

「ガラスが土、火、液体であることは、忘れられていくばかりであった。しかし、ミースもバルセロナパビリオン(1929)では、しっかりと水を張って、ガラスと組み合わせている。僕らはガラスがただ透明でも無でもなく、物質として様々に振る舞うということに着目し、その振る舞いを、引き出そうと試みる。特にガラスには厚みがあることが大事で、その厚みは、ガラスの端部=エッジで、突然に出現する。物質を扱う時はその端部の扱いが一番大事で、そこで、物質の厚さ、重さ、固さなどがストレートに伝わってくる。中でもガラス端部は一番大事である」

写真7は、<Yakisugi Collection・2017>と題された、焼杉のメス型で3次元のテクスチャーをつけたガラス・プロダクト。同じ模様は存在しない。チェコのガラスファクトリーとのコラボレーション。均一で透明な無のイメージとしてのガラス素材という、モダニズム建築における認識を覆す企て。

(*写真7 : <Yakisugi Collection>)

繊維でできた生物としての身体に、衣服という繊維をまとっている私たち。それに重なり、溶け合う、膜/繊維としての建築

「繊維自体が構造を内蔵して、自立するのである。柔らかさと固さという概念も相対的で、もはややわらかさと固さとは対立しないのである。やわらかく弱いはずの繊維で、重く固いコンクリートのラーメン構造の耐震補強をすることにも挑戦した。重く固い20世紀的な物質のもろさを、現代のやわらかな物質で補うのである」

写真8は、持ち寄った傘でノマド型建築が生成される<Casa Umbrella・2008>という作品。15個の傘をウォータープルーフのジッパーで縫い合わせることでフラードームを形成している。膜材が引張材、傘の骨が圧縮材として機能する一種のテンセグリティ構造でもある。既成概念としての建築を否定した先駆者バクミンスター・フラーへのオマージュ。

隈研吾 センテグリティー バックミンスター フラー

(*写真8 : <Casa Umbrella>)

写真9は、鉄の7倍の引っ張り強度を持つといわれ、建築素材としてその可能性が注目されるカーボンファイバーを既存のコンクリート建築の耐震補強材として使った<小松精練ファブリックラボラトリー・2014>の模型。地元北陸の糸撚りの技術を応用して繊維としての柔軟性が活かされている。繊細で、透明で、やわらかく、かつ強い、20世紀を席巻したコンクリートの存在を乗り越える可能性が視覚化されているようだ。

(*写真9 : <小松精練ファブリックラボラトリー>模型)

「20世紀の建築家は、建築を作品と呼びたがった。アーティスティックな付加価値のついた商品のことを、作品と呼んだのである。作品は環境との切断がオーラを放つと、人は考えた。切断ゆえに作品は高く売れ、切断のできた作品が、20世紀の環境を破壊し、いまも増殖している。(中略)作品という発想が、ゆがめたのである」(前掲論文から)

「僕は作品を残したいのではなく、ひとつの研究室、すなわちラボを残したい。物質のことを研究し、物質と一緒になって、さまざまな研究者や技術者と一緒になって、いろいろなことを試してみるラボ(LAB)を残したいのである。建築作品はラボの活動の継続の、一断面にすぎない。(中略)ひとつひとつの建築が作品なのではなく、それぞれの建築を繋ぐ流れこそが作品であると、僕は最近考えるようになった」(前掲論文から)

作品、商品ではなく、ラボラトリーの活動としての建築。物質との出会いから約20年 隈研吾 が自らの建築のオリジナリティを宣言した言葉である。

以上

text by 大村哲弥

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