ハーバード大学のアーバンデザイン学科で教鞭を執っていた 槇文彦 が、日本に帰国して槇総合計画事務所を作るのが1965年。37歳の時だ。

1967年、 槇文彦 はオーナーである朝倉家と出会い、ヒルサイドテラスの設計が始まる。

<日本におけるアーバンデザインの到達点。ヒルサイドテラス>

ヒルサイドテラスは、代官山駅にほど近い旧山手通りの両側に、第一期のA・B棟の設計開始の1967年から、最終期となったヒルサイドウェストの1998年の竣工まで、計15棟の建物(アネックスとデンマーク大使館を含む)を31年かけて作った低・中層の複合集合住宅計画である。

一人の建築家が30年以上に渡り、通りの両側の建物を手掛ける例は、東京はもちろん、日本、あるいは世界的にみても極めて稀有なことである。

結果として、日本におけるアーバンデザインのひとつの到達点といえるヒューマンなストリートタウンが誕生した。

ヒルサイドテラスは、<前編>で言及した『見えがくれする都市』の調査・研究が行われた1976~1978年を間に挟みながら進められた。ヒルサイドテラスは、『見えがくれする都市』の論考の仮設構築のヒントの場、あるいは概念構築のための実験、実践の場だったことは想像に難くない。「奥の思想」はヒルサイドテラスをフィールドワークの場として生まれたのだ。

<中編>ではヒルサイドテラスで実践された「奥の思想」を具体的に探ってみる。

 

1969年第一期完成。すべてはここから始まった>

建物群の南端の位置に第1期のA・B棟(1969年竣工)が作られ、ヒルサイドテラスの歴史はスタートする。すべてはここから始まった。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 1

敷地南東の角にコーナープラザが設けられA棟へはコーナープラザを経由した隅入りとなっている。道なりに歩く動線と同じ方向性で建物への導入が図られ、正面入りやシンメトリーにはない、より親密なエントランスの雰囲気を作っている。隅入りの採用は、正面性を避けずれを設ける日本の屋敷の空間構成に由来している。この隅入りのヴォキャブラリーは、以降のヒルサイドテラスの基本フォーマットとして反復されてゆくことになる。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 2

コーナープラザは低層のL型建物に抱かれるような設えになっており、シンボルツリーやテラス風の仕上げと合わせて、ヒルサイドテラスの持つヒューマンなスケール感を象徴している。道路面から僅かにステップダウンしてアクセスすることもプライベート性を強調している。

ロビー空間では、吹き抜け、大きなガラス開口、コーナーガラスなどにより、開放的で内外の空間や視線が響きあう空間体験が意識されている。

内部に入ると、空間が屈曲しながらレベルがステップダウンし、奥へと導かれるような構成となっている。目黒川に向けて南西方向に下がってゆく土地の地形をなぞるように内部空間が作られており、A・B棟の間のB1階には緑を望むサンクンガーデンとレストランが設けられる。方向性やレベル差を巧みに変化させ、視線と身体に訴えかけながら、奥に設けられたアメニティのスポットに到る動線上の空間をオペレーションするという手法は、以降のヒルサイドテラスでも様々なヴァリエーションで展開されることになる。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 3

サンクンガーデンは建物とレベル差によって道路からの視線がさえぎられ、プライベート性、奥性の高い空間となっている。フレンチレストランの老舗「パッション」(当初は「レンガ屋」がテナントだった)の樹下のアウトドアテーブルとして利用されている。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 4

B棟の1階へアクセスするため道路面からステップアップしたぺデストリアンデッキが設けられ、その上には2・3階の通路とメゾネット住戸のヴォリュームがオーバーハングする。マッシブで個性的な印象のファサードだが、A棟のエントランスからサンクンガーデンへ到る動線に比べ、道路とのオープンな関係性やパブリックからプライベート(奥)へと誘われる空間のエキサイトメント性という点では、単調な印象が否めない。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 5

建物はそっけないぐらいにシンプルなRC打ち放し塗装(後に吹付タイルに変更)による白のキューブ。要所に設けられた白い円柱がモダニズムを印象づけるアクセントとなっている。

 

<中庭囲み型住棟によって生み出された新しい都市のパブリック性>

第2期のC棟(1973年竣工)は奥行きのある敷地形状を活かし、リニアな敷地のA・B棟では実現できなかった囲み形の住棟が実現されている。当初の計画は第一期のB棟のようなリニアな形状の住棟を連続させた計画だったが変更されている。変更は大いに成功だったといえる。

第一期ではコーナープラザが外部のパブリック空間として設えられていたものの、店舗に絡んだ動線と賑わいの中心は内部空間に展開されていた。第二期は中庭を囲むようにショップが配置され、店舗の動線と賑わいが外部のパブリック空間と一体となって展開されているのが最大の特徴である。計画のパブリック性や都市性がより高まっており、計画の都市や街並みへの参画の度合いがレベルアップされている。

道路を歩いていると、ケヤキの高木が植えられた凹型の空間と長い階段状のフロアが現れる。ピロティとなって抜けた建物の先の道路面からやや上がった位置に中庭が見えがくれする。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 6

ここでも中庭へは斜め方向からアプローチする隅入りの手法が採用され、歩行者を自然に招き入れる道路との関係性が作られている。

建物がセットバックして生み出された凹型空間、抜け感のある手摺や渡り廊下、樹木、階段状のアプローチ、ピロティ、中庭など、平面、立面、断面、外構を同時にオペレーションして、変化に富んだ、陰影のある、表情豊かな都市のファサードが作り出されている。同時にそうした様々なエレメントが、空間のひだとして重なり合い、視線のエキサイトメント性が生み出され、奥への興味と誘いが巧みに創造されている。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 7

中庭は北西方向(第三期敷地)へ抜けるような平面形状となっており、ここでも奥への誘いを意識した方向性と回遊性がデザインされている。

開放的な中庭と天井高を抑えたピロティやコリドー状の軒下空間が、同じ外部空間ながら、異なる居心地を作っており、こうしたところにも、空間のコンテクスト性を高める工夫がなされている。中庭を囲む建物も、高さの変化、立面の抜け感、ルーフガーデンの緑など、なにげない視線の先の風景がきめ細かくデザインされている。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 8

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 9

C棟建物への導入も隅入りが踏襲されており、ピロティ状の抱きのある空間が作られている。ここでは円柱のエレメントがエントランスを明示している。建物外壁は白の吹付タイル。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 10

奥まった位置に隠れたるアメニティ・スポットを設けるというアイディアも踏襲されており、第一期と同じく西側の地下一階にサンクンガーデンとともにレストランが設けられている。

槇文彦 ヒルサイドテラス中編 11

<後編>では第3期から最終期に当たるヒルサイドウエストを訪ねる。

 

<以上>

Text by 大村哲弥

 

 

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