そこに置くだけで場の雰囲気が一変する椅子が存在する。

ミース・ファン・デル・ローエによる バルセロナ・チェア はそうした椅子の代表だ。

革新的な構造とフォルム、優雅にしてクール。モダンファニチャーの頂点ともいえるこの椅子は、どこか人を寄せつけないような冷たさ、さらに言えば、人が座ることを拒むような孤高さを漂わせている。

Silla Barcelona バルセロナ・チェア

(*Barcelona chair & stool,source:

http://knittingandcrocheting-club.blogspot.jp/2012/06/mies-van-der-rohe-europa.html

バルセルナ・チェアは1929年のバルセロナ国際博覧会のために建てられた、同じミースの手になるバルセロナ・パビリオンのために作られた椅子だ。

それはバルセロナ・パビリオンに出御する予定のスペイン国王アルフォンソ13世とその王妃ビクトリア・エウヘニア(英語読みはウージェニー)夫妻のための玉座として作られ、そこに置かれたものだった。

バルセロナ・チェアのイメージの原点は、古代ローマ時代の王や権力者の象徴でもあったクルール・チェア(Curule Chair)とよばれるX脚の椅子だったという、いかにも玉座にふさわしいエピソードが残されている(『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ 鹿島出版会 2006)。

Curule_chair,_sella_curulis,_Museo_Borbonico,_vol._vi._tav._28

(*curule chair,source:https://en.wikipedia.org/wiki/Curule_seat

 

アルフォンス13世は、ブルボン家出自のスペイン国王アルフォンソ12世を父とし、ハプスブルグ家から嫁いだ母マリア・クリスティーナとの間に生まれる。生まれる前に父アルフォンス12世が亡くなり、アルフォンス13世は、生まれた瞬間から王であり、王太后となったマリア・クリスティーナの摂政のもと、幼少から玉座に座った稀有な出自の人物である。

 

バルセロナ・パビリオンの前でアルフォンソ13世と会話を交わす正装姿のミースが写真に収められている。Mies y Alfonso XIII

(*バルセロナ・パビリオンでアルフォンソ13世と会話を交わすミース,source:

http://knittingandcrocheting-club.blogspot.jp/2012/06/mies-van-der-rohe-europa.html)

 

ミースの最高傑作といわれ、モダン建築の始祖として賞賛されるバルセロナ・パビリオンに、スペイン国王夫妻を迎え、博覧会開会の黄金勅書に署名がなされた1929年5月26日はミースにとってヨーロッパ時代の絶頂の瞬間だった。

 

しかしながら、バルセロナ・パビリオンを訪れたアルフォンソ13世夫妻は、中庭のプールに面する透明ガラスを背にして置かれた白の子羊の皮革で作られた2脚のバルセロナ・チェアに座ることはついになかったという(★1)。

 

その理由は、ミースがバルセロナ・パビリオンで実現した、後のユニバーサル・スペースにつながるような、「流れる空間」には、もはや王が座すにふさわしい空間のヒエラルキーが存在しなかったからだと言われている(『真理を求めて』 高山真實 鹿島出版会 2006)。MMA 298

(*Barcelona Pavilion,1929,source:

https://www.knoll.com/knollnewsdetail/design-deconstructed-barcelona-chair

 

あるいはこうも言えないだろうかと妄想が膨らむ。アルフォンソ13世は、 バルセロナ・チェア が漂わせるどこか人を寄せつけないような雰囲気に何かしら不安なものを感じたからだと。

幼少から玉座に座り、帝王学を学び、16歳から親政を執ったといわれている、生まれながらの王アルフォンス13世は、バルセロナ・チェアに隠されたミースのシニカルな意図を直感したのかもしれない。

 

さあ、どうです。現代の玉座とはこんな感じでしょう。ただし、決してお座りになりませぬように。なぜなら、現代の玉座とは座るべき主の不在を象徴するために作られるわけですから。いやはや、お互い、いやな時代に生まれてきましたな。

 

第一次大戦に参戦しなかったスペインは、戦争特需で工業化が進み経済発展が目覚しかったものの、一方で貧富の差が著しく拡大するなど、父アルフォンソ12世の時代には安定していた政治が揺らぎ始めていた。ビクトリア・ウージェニーとの結婚のパレードは無政府主義者の爆弾テロに見舞われ、その後も王党派と共和派が対立を繰り返し、アルフォンソ13世が在位している間だけでも2人の首相が暗殺されるなど、社会不安は深刻化し、結果的に王政の存在意義が失われていった。

 

不安は的中したのかもしれない。アルフォンソ13世はその2年後の1931年、政治的な行き詰まりから亡命し、スペイン王政は廃止され、それが引き金となってスペイン内戦が勃発する。その後スペインは、内戦を制した大元帥フランシスコ・フランコ・バアモンデが国家元首となり、ながらく独裁政権が続くことになる。

 

ミース・ファン・デル・ローエは、バルセロナ・パビリオンによって、空間のヒエラルキーを消滅させ、均質空間(ユニバーサル・スペース)を世界に普及させた。そして、そこに置かれたバルセロナ・チェアは、社会のヒエラルキーの消滅を象徴していた。大げさにはそんな風に言えるかもしれない。

 

1975年、フランコの死去によりスペインは36年ぶりに王政復古し、ファン・カルロス一世が国王に即位する。フランコの操り人形とみられていた国王は、一転、フランコ時代の独裁政権を否定し、民主化を推進し、今日の立憲君主制のスペインが作られた。ファン・カロス一世はアルフォンス13世の孫にあたる。

 

88年前、現代の玉座たる バルセロナ・チェア を前にしたアルフォンス13世の脳裏によぎったものは、遥かかなたに垣間見えた今日の民主スペインの姿だったのかもしれない。

 

(★1)そもそもバルセロナ・パビリオン自体が国王を迎えた1929年5月26日時点では完全には完成しておらず、 バルセロナ・チェア も間に合わなかったとの説もある。確かに写真にはパビリオンの前しか写っていない。

以上

Text by 大村哲弥

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