ミース・ファン・デル・ローエ のガソリンスタンド
ミース・ファン・デル・ローエ は、最晩年にカナダのモントリオールでガソリンスタンドの設計をしている。ナン島にあるエッソのガソリンスタンドだ。このガソリンスタンドはDVD『 ミース・ファン・デル・ローエ 』(ジョゼフ・ヒレル監督)で観ることができる。
低く地を這うように伸びた黒のルーフがクールだ。こんなガソリンスタンドが日本にあれば、どんなにか給油の時間が待ち遠しくなるだろう。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Nuns%27_Island_gas_station)
(https://www.flickr.com/photos/alain_quevillon/17650427868)
DVDでは、レイクショア・ドライブ・アパートメント、シーグラムビル、イリノイ工科大学クラウンホールなど、ミースの主要な作品が関係者の証言とともに登場する。
(レイクションドライブ・アパートメント:
http://www.archdaily.com/59487/ad-classics-860-880-lake-shore-drive-mies-van-der-rohe)
(シーグラムビル:http://www.375parkavenue.com/History)
(イリノイ工科大学クラウンホール:
http://www.gafferphotography.com/prints/ko8tacthygx15eu85vxo526nlypmr1
巨人ミース・ファン・デル・ローエの足跡と作品を辿る映像としては、やや物足りない気もするが、ミースの傑作のいくつかがクールなjAZZのサウンドととも映し出されるのを観るのは、それはそれで楽しい。
ガラスカーテンウォールに映し出されるシカゴやニューヨークの都市風景、シャープなスカイラインに雲が流れるコマ落しで撮られたシーン、薄暮に浮かび上がるガラスのオブジェのような光の建築。ミースの建築の持っている、クールで研ぎ澄まされた都市の詩情とでもいうべき特徴がよく現れている。
ナチスの権力が拡大し、 ミース・ファン・デル・ローエ が3代目の校長を務めていたバウハウスが1933年に閉鎖される。1938年、ミースはアメリカに移住することを決意し、シカゴのアーマー工科大学(後のイリノイ工科大学)の建築学科で教鞭を執ることになる。
あの巨匠ミースがガソリンスタンドを設計していたことは意外に思えるかもしれないが、ガソリンスタンドを設計している有名建築家は少なくない。
アルネ・ヤコブセンや坂倉準三など早々たる建築家がガソリンスタンドを設計している。ヤコブセンのガソリンスタンドは今も使われているそうだ。
(アルネ・ヤコブセンによるテキサコのサービスステーション:
http://noranordland.tumblr.com/post/64569972655/skovshoved-petrol-station-by-arne-jacobsen-from)
(坂倉準三によるアポロのガソリンスタンド:
https://twitter.com/kosho_yamasemi/status/634211323023233026)
車やガソリンスタンドはモダンエイジになってから誕生したアイテムだ。モダニズムの建築家たちは、こうした新たな機能に興味を示し、自らの手で新時代にふさわしい造形を与えようとした。
ナン島のガソリンスタンドは2008年に営業を停止して放置されていたが、2011年にカナダの建築事務所FABGの手によってコンバージョンされ、現在は高齢者と若者のためのアクティビティセンターとして再生されている。
(http://www.domusweb.it/en/news/2012/02/22/mies-van-der-rohe-gas-station-reconversion.html)
再生後の姿もウルトラ・クールだ。
(http://www.domusweb.it/en/news/2012/02/22/mies-van-der-rohe-gas-station-reconversion.html)
(http://www.openculture.com/2015/04/the-modernist-gas-stations-of-frank-lloyd-wright-and-mies-van-der-rohe.html)
優れたデザインは都市の資産であるとの好例だ。
ミースはこのガソリンスタンドの完成を見ずに1969年8月17日に死去する。
ミースは最晩年にこう言っている。
「建築は文法の規律を持った言語である。言語は、散文のような通常の目的のために使われ得る。そして本当に良ければ、詩人となれるのだ」
(Architecutural Record 146 1969年9月に掲載 『建築文化1998年1月号 ミース・ファン・デル・ローエ vol.1』 彰国社より)
凡百の建築は散文だが、自らの建築は詩だ、との静かな自負が伝わってくる。
ミースはいつもじっと窓の外を眺めならが思索に耽っていたという。
研ぎ澄まされプロポーションを、極限までそぎ落としたディテールを、素材の持っている究極の本質を考え続けたミース・ファン・デル・ローエ 。
DVDの証言者の多くが語っている。同じガラスの建築でもミースの作品は、ほかの者の手になるミース風のものとは決定的に違っている、未だミースを超えられないと。
それは、いわば実用書と詩の違いだ。優れたデザインは、都市に埋め込まれたポエジーなのだ。
text by 大村哲弥
*参考文献等 : DVD『MIES VAN DER ROHE』(ジョゼフ・ヒレル監督 2004 発売元IMAGICA)
「建築文化1998年1月号 ミース・ファン・デル・ローエ vol.1」(彰国社)
『評伝 ミース・ファン・デル・ローエ 』(フランク・シュルツ 鹿島出版会 2006)