ブレードランナー 2049 ~失われた大地と建築、都市、記憶~ <後編>

(*Blade Runner 2049, source :

https://www.nytimes.com/2017/10/08/movies/blade-runner-2049-box-office.html

 

磯崎新はミース・ファン・デル・ローエの《レイクショア・ドライブ・アパートメント》に言及してこういっている(『栖すみか十二』、まいの図書館出版局、1999年)。

立体格子の地獄では、「あなた、という存在がその生活を容れる箱のなかに、自分自身の殻をつむぐことになる。だがら、メトロポリスにおいて可能なデザインは規模にかかわらずインテリアだけです」と。

人のアイデンティティのよすがとなるのは、自らにまつわる過去の<記憶>であり、近代以降、激しい速度で変容していく<都市>のなかで、私たちがかろうじて自らの居場所を同定しながら暮らし続けられるのは、建物や街という<都市>の<記憶>が過去と現在をつないでいるからだ。

<大地>が喪失し、<建築>が曖昧になった世界では、自らの身体を取り巻く室内空間やそこに置かれた写真やオブジェが個人の<記憶>の源泉となる。

映画『 ブレードランナー 』(リドリー・スコット監督、1982年)および映画『 ブレードランナー 2049 』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017年)で描かれる懐古的なインテリアは、個人の<記憶>の象徴であり、再帰的な過去とは変奏された<記憶>のことである。

前作のレプリカントたちは家族写真を飾り、本作の主人公K(ライアン・ゴズリング)は、いつも子供の頃の思い出である小さな木馬を持ち歩いている。インテリアの偏愛は自らの<記憶>の確認作業である。

両作で描かれる未来都市の姿と通奏する<記憶>というテーマは、私たちに現実の<都市>の行く末を想像させて止まない。

急速に変貌する<都市>の行き着く先は、<都市>すらも<記憶>のなかにしか存在しえない世界かもしれない。その時、はたして私たちは、<記憶>があれば喪失のなかでも生き延びられると言い切れるだろうか。

 

(*Blade Runner 2049,source :

https://www.linkedin.com/pulse/unsurprising-blade-runner-2049-flops-box-office-julian-meush

 

『 ブレードランナー 2049 』の物語を追ってみよう。

LAPDの ブレードランナー のKは、ネクサス9型と呼ばれる、人間に従順なように設計された新型レプリカントで、反乱予備軍の旧型レプリカントの解任(抹殺)を使命としている。物語の冒頭で、倒産したタイレル社は、密かに生殖能力を有したレプリカントの開発に成功しており、ひとりの女性のレプリカントが子供を出産していたという衝撃的な事実が明らかになる。

物語は、旧型レプリカントの抹殺の使命を負ったKとレプリカントの生殖の情報を手に入れたい新型レプリカントを製造しているウォレス社とが、その秘密を握る前作の主人公である元ブレードランナーのリック・デッカード(ハリソン・フォード)と母から生まれた特別な存在としてのレプリカントを探す展開として進む。

悪徳都市ロサンゼルスを舞台にした孤独な男のシーク&ファインドの物語。本作はチャンドラーの正当な嫡子なのだ。

捜査を通じてKは自らの出自への疑念が膨らんでゆく。『ブレードランナー』ではデッカードがレプリカントかどうかが議論を呼んだが、『 ブレードランナー 2049 』の主人公Kは、母から誕生した特別な存在なのか、それとも製造された人間の僕(しもべ)に過ぎないのか。事件の捜査がいつの間にか自分探しに変容していくところも、まさにハードボイルドだ。

誕生か、製造か。その違いは、<記憶>が成長の過程で自然に蓄積された思い出なのか、あるいは、制作されたデータが埋め込まれたのかがポイントとなる。

その鍵を握る人物アナ・ステリン博士はレプリカントのための記憶作家として登場する。人間の本物の<記憶>と制作され埋め込まれた<記憶>を見分けられる能力を持っている。

「大切なのは本物らしいこと」。Kに向かって博士はこうつぶやく。

(*Blade Runner 2049,source :

https://www.rogerebert.com/reviews/blade-runner-2049-2017

 

物語の要所で必ず描かれるのが<大地>のイメージだ。

物語の発端となる、母となった後に死亡した旧型レプリカントの遺骨は、丁寧に箱に入れられ、枯れ木の根元の土の中に埋葬されていた。

Kが初めて上司の命令を無視して、自らの<記憶>への疑問からアナ・ステリン博士と会うシーン。免疫不全のためガラスの無菌室内で暮らす博士は、自らが生成したホログラフィーによる森の中でそこに住む昆虫と戯れている。それは、全編に漂う陰鬱な終末イメージとは正反対の、太陽と緑と生命が溢れるユートピアとしての<大地>だ。

それがいかに荒廃していようとも人間が最後に帰還する場所は<大地>以外にない、あるいは、失われてしまったからこそ、人はユートピアとしての<大地>を求めざるを得ない、たとえそれが創られたイメージとしての<大地>であろうとも、というメッセージだろう。

ブレードランナー ラストシーン 燃える研究所

(*Blade Runner 2049,

source : http://japanese.engadget.com/2017/05/08/2049/

 

そして、Kが救出したデッカードを博士のいる研究所に案内するラストシーン。

ウォレス社の女レプリカントのラヴとの死闘で傷を負ったKは研究所の入り口の階段に崩れるように横たわる。<大地>の上には雪が降り積み、Kの上にも静かに雪が舞い落ちる。降り止まない雪は前作のラストシーンで降る激しい雨と同様に、死と再生のメタファーだ。

自らの意思で外から与えられた存在の意味を否定し、自己という自由を獲得したKは満足そうにかすかに微笑んだような表情をみせる。それは<大地>に帰還した人間の安堵感以外のなにものでもないようにみえる。

白く染まった<大地>に建っているのは研究所の低層の<建築>であった。

 

text by 大村哲弥

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