コヤニスカッツィ Koyaanisqatsiとは、ネイティブ・アメリカンのホピ族の言葉で「常軌を逸した生活」というような意味だ。映画『コヤニスカッツィ』(ゴッドフリー・レッジョ監督1982)は、その言葉通りに、現代文明の「常軌を逸した」あり様を映し出す。

ナレーションを一切廃し、コマ落とし(微速度撮影)やスローモーションを駆使して映し出されれる映像が、普段は気がつかないでいる、日常の中に潜む「常軌を逸した」世界を対象化して我々の前に差し出す。

 

映画のなかに プルーイット・アイゴー が爆破されるシーンが出てくる。

プルーイット・アイゴー は、セントルイスの中心部に建てられた集合住宅で、11階建ての高層住宅33棟総戸数2,870戸の巨大な公共住宅団地だ。完成は1956年。設計者は日系人建築家のミノル・ヤマサキ。9.11の標的にとなったワールド・トレード・センターの設計者としても有名だ。

プルーイット・アイゴーは、当初から思うように入居者が集まらず空き家が多く、そのうち管理も疎かになり、ヴァンダリズム(器物破壊・環境破壊)が横行し、落書きや割れた窓がそのまま放置されるなど環境が急速に悪化し、結果的に暴力や犯罪の温床となりスラム化してしまう。

幾度かの再生計画も効果は上がらず、結局、プルーイット・アイゴー は、1972年3月16日に全棟が爆破解体されてしまう。築後16年しかたっていなかった。

Pruitt-Igoe collapse

(*SOURCE:

https://www.theguardian.com/cities/2015/apr/22/pruitt-igoe-high-rise-urban-america-history-cities

 

プルーイット・アイゴーが爆破された日は、「モダニズム建築が死んだ日」(チャールズ・ジェンクス)と言われ、ル・コルビュジエの「輝ける都市」に象徴されるモダニズム建築の非人間性が批判の的になった。

プルーイット・アイゴーの失敗の原因として計画や設計の問題が指摘された。外部の者が容易に入れるオープンな敷地計画、EVが4層置きに停止するスキップストップ方式や閉鎖的な廊下空間などが死角を生み犯罪を助長した、あるいは、予算削減のため当初計画されていた公園などが作られず居住環境に問題があったなど。

Pruitt Igoe inside

(*SOURCE:

http://soci320student.blogspot.jp/2012/04/what-is-pruitt-igoe-myth.html)

 

オープンな敷地計画やスキップストップ方式のエレベーターや片側廊下型の住棟は、日本の公団が得意とした設計である。しかしながら、日本の公団住宅でヴァンダリズムが横行したことや、犯罪の温床になったという話は聞かない。むしろ、日本の公団住宅では、爆破解体どころか、長年愛着をもって住み続けられた結果行き着いた入居者の高齢化という、まったく逆の状況が問題となっているのだ。

彼我の団地の設計に、さほど根本的な差異があるとは思えない。むしろ、残された写真などを見る限り、プルーイット・アイゴー の建築は、全体プロポーションのバランスや繊細なイメージのファサードの構成など、日本の公団住宅以上に良く考えられた質の高いモダニズム建築であったことが窺える。

真の原因は別のところにありそうだ。

Pruitt-Igoe

(*SOURCE:

http://collections.mohistory.org/search/custom_search?addfacet=subjects_facet%3APruitt-Igoe%20%28Housing%20project%20%3A%20Saint%20Louis%2C%20Mo.%29)

pruitt-Igoe

(*SOURCE:

http://collections.mohistory.org/search/custom_search?addfacet=subjects_facet%3APruitt-Igoe%20%28Housing%20project%20%3A%20Saint%20Louis%2C%20Mo.%29)

 

ドキュメンタリー映像のThe Pruitt-Igoe Myth (監督Chad Freidrichs 2011)は、 プルーイット・アイゴー の元の居住者へのインタヴューなどを通じて別の事実を浮かび上がらせる。

戦後、経済減速と人口減少が著しかったセントルイスにはそもそも大きな住宅需要自体がなかったこと、都市の衰退に伴って、都心部は治安が悪化し、ミドルクラス層(特に白人家庭)はこぞって戸建を求めて郊外へ脱出しようとしていたこと、まさにスラムクリアランスによって作られた プルーイット・アイゴー には、こうした治安や人種問題など当時のアメリカの都市がかかえるインナーシティ問題が当初から影を落としていたことなど、プルーイット・アイゴーの失敗の真の原因は、セントルイス、あるいはアメリカの都市に固有の問題にあったことが示唆される。

インタヴューで元の入居者たちは、 プルーイット・アイゴー での暮らしがいかに素晴らしかったかを語っている。クリスマスのイルミネーションの美しさ、リビングルームに漂う食べ物の匂い、子供が自由に遊べる陽当たりの良い広々としたオープンスペースetc。ある女性はこう証言する。「私の母は生まれて初めてドアつきの部屋と自分のベッドで寝ることができたの」と。

意外なことに(今となってはそう言わざるを得ないが) プルーイット・アイゴー は、公共住宅として高く評価されていたのだ。

childsitting pruitt igoe

(*SOURCE:

http://www.archdaily.com/153704/the-pruitt-igoe-myth-an-urban-history)

pruitt igoe

(*SOURCE:

http://collections.mohistory.org/search/custom_search?addfacet=subjects_facet%3APruitt-Igoe%20%28Housing%20project%20%3A%20Saint%20Louis%2C%20Mo.%29)

プルーイット・アイゴー 野球 Softball at Pruitt Igoe

(*SOURCE:http://www.pruitt-igoe.com/thanks-to/)

 

プルーイット・アイゴーの失敗の根本原因が、モダニズム建築や公共住宅政策にあったわけではなかったとはいえ、低層の建物が建ち並ぶ街のスラムクリアランスのために、周囲から隔絶したスーパーブロックに巨大な高層住宅を大量に建てるというコルビュジエ流のやり方がふさわしかったかどうかは、また別の問題だ。

プルーイット・アイゴー Pruitt-Igoe sky view

(*SOURCE:

https://www.theguardian.com/cities/2015/apr/22/pruitt-igoe-high-rise-urban-america-history-cities)

 

プルーイット・アイゴー を推進した当時のセントルイスの政治家たちは、マンハッタンのような建物を作って都市再生の切り札とすると考えていたそうだ。

槇文彦はこんな主旨のことを語っている。

モダニズムは建築家を自由に解放した。モダニズム建築とは「何でもあり」の状況で、建築家それぞれが規範を持って設計していく建築だ。それは単に施主の欲望を充足させるだけでなく、与えられた場所、あるいは時代に対して、社会性をもたなければならない、と。

様式的拘束や技術的制約から自由になったモダニスムには、逆に厳しい倫理性が求められなければならない、ということだろう。

モダニズムは、世界中を「常軌を逸した生活」に変えてしまうこともできれば、都市をプルーイット・アイゴーで埋め尽くしてしまうことも可能だ。

世界がそうなるかどうかは、ひとえに、ひとりひとりの倫理にかかっているのだ。モダニズムという自由の持つ重さを忘れてはならない。

*参考資料:

Alexander von Hoffman,Why They Built the Pruitt-Igoe Project. Joint Center for Housing Studies, Harvard University.

Available at<http://www.soc.iastate.edu/sapp/PruittIgoe.html>

Chad Freidrichs(Director), The Pruitt Igoe Myth[Motion Picture]. 2011.

Abailable at<https://www.youtube.com/watch?v=xKgZM8y3hso

 

Text by 大村哲弥

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone