建築やプロダクトデザインの世界において、僕らは普通、デザインとつくることは別のものと考えている。

 

デザインは建築家やデザイナーが担い、施工・製作は建設会社やメーカーが担う。建築物や製品の設計やデザインを決めるのは建築家やデザイナーで、施工・製作者はその図面に基づき、忠実に実現する役割を担う。

 

こうしたデザインとつくることを別のものとして考えるという(たぶん近代以降当たり前になった)、僕らの習慣は、ほんとうに当たり前なのだろうか。

 

つくること(メイキング)をタイトルに掲げた、人類学者 ティム・インゴルド の著作『 メイキング 』(左右社 2017)は、デザインとつくることの関係を考える際に示唆を与えてくれる。

メイキング

https://www.amazon.co.jp/メイキング-人類学・考古学・芸術・建築-ティム-インゴルド/dp/4865281797

 

 

アイディアやイメージを具体的なものやかたちや仕組みとして作り上げることを僕らはデザインと呼んでいる。

 

デザインdesignは、デッサンdessin(仏)、ディゼーニョdesegno(伊)などと同じくラテン語のデジナーレdesignareを語源にしている。このラテン語は、イメージやアイディアを視覚的に記す、という意味だそうだ。

 

ドローイングdrawing、スケッチsketchなど、同様のことを指すほかの言葉もある。

 

頭と紙、心と平面、イデアとメディア、さまざまな言い方ができるが、デザインやデッサンやドローイングはこの2つのことがらにまたがった行為だと言える。

 

デッサンとは「線を散歩させること」。このパウル・クレーの言葉が象徴するように、デッサンとは、普通に思われているように、頭の中にあるイメージを単純に紙に書き記すことではない。

 

デッサンに限らず、芸術、デザイン、文筆、企画など、ある種の創造のプロセスは、計画や予測よりははるかに実験に似ている。

 

デザインを含むさまざまな創造のプロセスは、あらかじめ固まったものを紙に書くことではなく、荒馬のように奔放に明滅する想念をそれが消え去る前にかろうじてつなぎとめる行為、夢の後を追いかけて失われる前に取り戻す行為だ、というインゴルドは言う。

 

そして、夢という想像力をつなぎとめる行為に不可欠なのは、「物質」との格闘であると言う。

 

この場合の「物質」とは、作家であれば言語、作曲家であれば楽器の音や音符、演奏家は楽器そのもの、画家は木炭やキャンバスや絵具、建築家であれば重力や石・木・鉄などの素材の特性のことだ。

 

無限に飛翔する夢は現実の物質において抵抗に会い、その格闘の結果が作品となる。つくることとは詰まるところ、そうした夢と物質との相互作用のプロセスのことだ。

 

このプロセスにこそ、夢を取り逃してしまうのではないかという創造者の恐怖と苦悩と熱狂と、そして物質の抵抗する力に抗ってそれを上手く定着できた時の歓喜がある。

 

芸術やデザインのモデルは、ガーデニングや料理から抽出されるべきだというラース・スパイルブックの説が紹介されているが示唆的だ。曰く「偉大な造園家やシェフは、ものの状態を見ているだけではなく、それがどこにむかいつつあるのかを感覚している」と。

 

デザインとつくることは、もともと、夢をつかみ物質に定着させるという、思考と物質をめぐる創造行為の一環であったのであり、決して別ものではなかった。

 

建築家はギリシア語のアルキテクトンを語源とし、アルキarkhiは主任、テクトンtektonはつくるひとを意味し、建築家は文字通り、大工の棟梁という意味だった。

 

中世の大聖堂を建てた石工たちは刻むように石に描き、描くように石を刻みつけた。

シャルトル大聖堂 メイキング

 

(*シャルトル大聖堂の西側ファサード。ティム・インゴルド 『 メイキング 』 p128掲載)

 

優れたデザインには、素材や造形や色や空間など、つくることへの格闘の痕跡が感じられる。逆に、そうしたものが感じられないデザインは、単なる奇をてらったスタイリングや新奇なビジュアルや前例のトレースに終始している感じがする。

 

ティム・インゴルドは、こうした作者(想像力)と素材(物質)との相互作用を称して「応答(コレスポンダンス)」と呼んでいる。

 

人類学という学問の本質もこの「応答(コレスポンダンス)」だという。

 

人類学にはフィールドワークと呼ばれる参与観察という方法がある。

 

参与観察とは、第三者的立場で観察しデータを収集する行為ではなく、それとは正反対に観察者の「存在論的責務(コミットメント)」をともなう行為であり、参与観察はものごとを「内側から知る」方法だ。

 

「世界の外側に突っ立っているだけでは、知識を獲得することはできない。わたしたちは差異化する世界の一部なのだ」

 

人類学とは、参与観察というフィールドワークの経験を通じて、自らも世界の一員として、世界に参画し、世界から影響を受けながら、そうした世界内存在としての自分の体験を昇華させて、世界に対する新しい見方を発見・提示する学問だ。

 

ティム・インゴルドは言う。人類学という学問もまた、芸術や建築と同様に世界への「応答(コレスポンダンス)」であり、情報の蓄積ではなく、世界への対応なのだと。

 

優れたデザインとは、作者の表現のレベルを超えて、つくることを通じた世界への応答であるということを、つくることと題した人類学は気づかせてくれる。

 

以上

 

text by 大村哲弥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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