建築ではなくオープンスペースからこれからの都市をあり方を考える。建築家の 槇文彦 が「 アナザーユートピア 」という論考で問題提起している。
槇文彦の問題提起とそれへのさまざまな専門家からの応答で構成された書籍『 アナザーユートピア - 「オープンスペース」から都市を考える』(槇文彦・真壁智治 NTT出版 2019年)の刊行とあわせてトークショーが開かれた(2019年4月23日@青山ブックセンター本店)。
(*『アナザーユートピア–「オープンスペース」から都市を考える』刊行記念トークショー、左から真壁智治、槇文彦、藪前知子、北山恒)
1953年の一年間の滞在以来、たびたび訪れたニューヨークに関して、槇は自分にとってのニューヨークの原風景は何だろうかと問うている。
そしてそれは、マンハッタンにひしめくスカイスクレーパーの像ではなく、「広大なセントラル・パーク、古いMOMAの彫刻ガーデン、ロックフェラー・センターのスケートリンク、グリニッジ・ヴィレッジへの入り口でもあるワシントン・スクエア、そこで老人たちがのんびりとチェスを楽しんでいる風景、あるいは70年代、コロンビア大学でのワークショップのため長期滞在していたホテルが面するグラマシー・パーク」などのオープンスペースであった、と。
槇文彦は、建築や都市の状況に閉塞感が漂っていた70年代初め、奥野健男『文学における原風景』(1972)に衝撃を受けたと告白する。奥野の言う「原風景」とは、かつては日本のどこにでもあった「原っぱ」のことだ。
槇や奥野から30年後の世代の建築家の青木淳は前掲書で、「原っぱ」の系譜として岡崎京子の『リバーズ・エッジ』(1994年)の死体が転がる河原を挙げ、「原っぱ」とは物理的な空間や時代や世代を超えた根源的な共同感覚であると指摘している。
「原っぱ」をあえてシンプルに言ってしまうと、社会、家族、日常、しがらみ、束縛、機能、目的、役割、権力などからの<解放区>ということになろうか。
「原っぱ」という空き地の存在やそこでの経験が、ひとの心象や記憶を形成し、都市のリアリティや都市のイメージにつながっている。
こうした認識は、日本的空間の特質を「奥」という概念で提示した『見えがくれする都市』(1980年)や道路とつながりながらさまざまな形態のオープンスペースが連なった代官山の《ヒルサイドテラス》(1968-1998)など、槇の一連の論考や設計活動とすでに通底していた。槇文彦がオープンスペースから都市を考えるという発想に至ったことはある意味必然だったとも言える。
そこにあるのは、地と図の反転、つまり図(建築)をもっぱらを主体とし、地(オープンスペース)を残された余白として認識してきた、近代的発想(モダニズム)の反転の企てにほかならない。
トークショーの出席予定者だった(当日は欠席)建築家 塚本由晴は、「オーナーシップ、オーサーシップから、メンバーシップへ」(前掲書)という論考で、東工大の花見のエピソードを題材に語っている。
東工大は2006年に本館前の車道を、ウッドデッキによる桜並木の下の広場状プロムナードとして整備する。その後、東工大は花見の名所として学外から大勢の花見客を集めるようになる。花見が盛んになるにつれて、そのオープンスペースでは飲酒やBBQや夜間の利用などが禁止されるようになり、立ち入りエリアの制限、警備員の巡回など、管理も厳格になった。その結果、整備以前から塚本らなど学内の人たちが行ってきた「普通の」花見や学内での酒宴が不可能になってしまった。
(*東工大の花見の様子、2019年4月撮影)
花見は単なる宴会を超えた、桜の開花という自然のリズムにひとのふるまいをリンクさせた文化的行為である。
同時に花見は、普段は単なる桜が植えてあるだけの人気のない場所が、桜の開花という自然のサイクルに合わせて、突如、そして自然に、その下にオープンスペースが生成されるという、西洋におけるシンボリックでスタティックな、モノ的・空間的なオープンスペースのあり方には決してみられない、日本的なコト的・時間的な空間感受や環境応答を反映した、日本独特のオープンスペースのあり方の現れでもある。
ふるまいの制限は、こうした感性や心性(マインドセット)や環境読解能力やスキルの制限につながり、ひいては社会や文化の制限に至り、受動的マインドしかもたない都市住民しか生み出し得ない状況が生まれると、塚本は注意を喚起する。
たかが花見、されど花見。
学生の花見が事実上黙認(お目こぼし)されていた時には、誰も気がつかなかったことが、花見の隆盛の結果、隠れていた(忘れられていた)所有や利用や管理などの空間権力の問題として前景化する。
塚本はこうした現状を「施設化」と呼んでいる。「施設化」とは今の社会と都市に充満する息苦しさの別名でもある。
明治以降の近代化推進によって、村や都市の習慣に由来する共有(コモン)という概念と空間は、それまで馴染みのない公(パブリック)/私(プライベート)に切り分けられ、その概念と空間を実践する専門家として確立されたのが建築家という職能だった。
必ずしもユートピアを生み出すことに成功しなかったモダニズムの挫折を意識した建築家は、これまではオーサーシップ(作品性・デザイン性)によって、「施設化」に傾くオーナーシップ(所有権)によるモダニズムを批判してきたが、はたして、そうした個別の戦線で、こうしたオープンスペースをめぐる問題は解決されるのか、と塚本は問題提起する。
そして、オーナーシップ(所有者・管理者)、オーサーシップ(計画家・建築家)に代わる、メンバーシップ(利用者)の原理の確立を訴える。
トークショーに塚本の「代打」として出席した建築家の北山恒は、かつての「共」(コモン)が、「公」(パブリック)=政府と「私」(プライベート)=市場に分離されたのが、近代社会であり、ポスト近代においては、「公」と「私」が再び「共」へと統合され、新たなコミュニティが生まれることが必要だと述べている。
そのためには所有という権力の融解によって、所有が曖昧な場所が再び必要とされ、そこが「アナザーユートピア」と呼ばれる場所になると北山は指摘する。
ユートピアとは、実在しない理想郷、「どこにもない場所」を意味する。そのユートピアを希求してきたのがモダニズムとモダニズム建築だった。
「アナザーユートピア」、つまり「もうひとつのどこにもない場所」は、モダニズムが失敗したユートピアをオープンスペースという別のアプローチで希求する運動ともいえる。
そしてそれは、あり得たかもしれない近代、「アナザーモダニズム」へと至る可能性をも予感させる構えの大きさを感じさせる。
以上
text by 大村哲弥