「よいデザインが受け入れられることはめったにない。だから売り込まなけらばならないのだ」。建築写真家のジュリアス・シュルマンの言葉だ。

ジュリアス・シュルマン の写真で最も有名なのは、ケーススタディ・ハウス#22を撮った一枚だろう。ハリウッドヒルズに建つ、建築家ピエール・コーニングが設計したスタール邸(1960)である。一目見たら絶対に忘れられないスペクタクルな一枚だ。

ケーススタディハウス#22 ジュリアス・シュルマン

(*『カリフォルニア・デザイン1930-1965』 新建築社 2013より)

 

この一枚は世界中に配信され、世界で最もよく知られたれモダニズム建築のアイコンと評された。

 

夜景を望む崖の上に張り出すように設けられたガラスのリビングルーム。そこでは、床の下には奈落のような暗闇の崖が広がっていることなど全く頓着しない様子で、女性たちが優雅に談笑している。部屋の隅々まで光が満ちあふれた、暗闇に浮かぶリビング空間は、カリフォルニアの暮らしの特権性を物語っているようだ。眼下に広がるハリウッドの夜景をその懐に収めるように画面全体を覆うフラットルーフがモダンデザインの勝利を宣言している。

 

ケース・スタディハウスは、ジョン・エンテンザが主宰する「アーツ&アーキテクチャー」誌によるさまざまな建築家を起用したモダンデザインハウスの実験的試みだった。そのモダンなイメージは同誌を媒介に、批評家エスター・マッコイと建築写真家ジュリアス・シュルマンのコンビによって、アメリカの豊かさを象徴するカリフォルニア・デザインが世界中に発信されていく。

 

50年代のロンドンの設計事務所のデザイナーの机の前には必ず「アーツ&アーキテクチュア」の切抜きがピンで留められていたとの逸話は、そのその影響力の大きさを物語る。

 

自宅でくつろぐイームズ夫妻を捉えた一枚はケース・スタディハウス#8(イームズ邸 1949)とその設計者であるイームス夫妻の個性を余すところなく伝える写真に仕上がっている。

CSH#8S イームズ夫妻 ジュリアスシュルマン

(*『カリフォルニア・デザイン1930-1965』 新建築社 2013より)

 

黄昏時のリチャード・ノイトラのカウフマン邸(1947)を撮った一枚は、そのあまりにドラマチックなライティングによって、砂漠のなかに建つ建物という現実性を霞ませていると非難されるほどの幻想性を纏わされている。シュルマンは、建物とプールと背景をそれぞれに露出時間を変えて、45分間かけてこの一枚を撮ったそうだ。

カウフマンハウス ジュリアス・シュルマン

(*『カリフォルニア・デザイン1930-1965』 新建築社 2013より)

ジュリアス・シュルマン は、1910年にブルックリンで生まれ、ロサンゼルスに移ってから、たまたま撮ったリチャード・ノイトラの作品の写真がノイトラ本人に気に入られ、建築写真の世界に入るきっかけをつかむ。

ジュリアス・シュルマン は、アングルはもちろん、撮影用に家具や小物を入念に吟味し、人物をふさわしく配置し、凝ったライティングで、その建築にふさわしい決定的な一枚を撮ったといわれている。

もっとも、シュルマン本人は、テクノロジーによる明るい未来やオプティミズムを象徴した写真と解釈されてきた前掲のケーススタディー・ハウス#22の写真について、たまたま外に出たら素晴らしい光景だったので、あわててカメラをプールの脇において撮った、とその周到な意図を煙に巻いているが。

ジュリアス・シュルマン

http://www.latimes.com/local/obituaries/la-me-julius-shulman17-2009jul17-story.html)

 

生産が消費を刺激し、消費が生産をリードする。第二次大戦後のアメリカにおいて、消費をうながすメディアは経済発展の尖兵だった。メディアとしての建築写真がイメージ戦略の担い手となった。

冒頭の言葉どおり、メディアとしての写真の機能を熟知していたジュリアス・シュルマンの写真によって、アメリカの豊かさとそれを象徴するカリフォルニア・デザインは、東海岸はもとより、ヨーロッパや日本など世界中に広まってゆく。

こうしたイメージ戦略は産業界の意図を超えて、冷戦プロパガンダの重要な手段として政治的役割を担ってゆく。

1959年のソ連で開催されたアメリカ博覧会のキッチン展示場において、米副大統領リチャード・ニクソンがソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフに対して、「これはカリフォルニアの家にあるようなキッチンです」といってアメリカの生活の豊かさを自慢して論争になった話は「キッチン討論」としてつとに有名だ。

NixonandFrushichov

http://learning.blogs.nytimes.com/2012/12/11/teaching-the-cold-war/?_r=0)

「豊かなアメリカ」のパブリシティが功を奏して、ひいては共産主義体制を崩壊に導いた、大げさに言えばそういうことになる。

こうしたアメリカの戦略にも60年代後半から陰りが見え始める。長引くベトナム戦争がアメリカを疲弊させ、アメリカンウェイ・オブ・ライフの自信が揺らぎ始める。冷戦構造、産業化社会、人種問題など、未来を信じる楽観主義が覆い隠してきた矛盾が露呈する。

建築界では、教条的になり画一性と効率性に走ったモダニズムが批判され、ポストモダニズムがもてはやされる時代を迎える。建築は復古的に、装飾的に、迎合的になってゆく。

ポストモダン建築を嫌悪したジュルアス・シュルマンは、1980年代後半に自ら引退を宣言する。モダニズムの理想を体現しながら、同時にヒューマンな世界を感じさせる作品を信条としていたシュルマンらしい身の処し方だった。

ポストモダンの嵐が収まった90年代、当時のカリフォルニア・デザインは、ミッドセンチュリー・デザインとして再評価され、大らかさや人間らしさや自然との親和性が感じられるモダンデザインのスタイルとして定着した。

2001年、91歳のジュリアス・シュルマンは、若手のカメラマンをパートナーとして建築写真に復帰する。その後も、98歳で没するまで、フランク・O・ゲイリーなど、時代の先端のモダニズム建築を追いかけた。

 

text by 大村哲弥

 

*参考資料:

・映画Visual Acoustics: The Modernism of Julius Shulman,Eric Bricker監督,2008

・建築文化 1999年9月号

・『カリフォルニア・デザイン1930-1965 -モダン・リヴィングの起源―』 新建築社 2013

・Andy Grundberg (July 17, 2009) Julius Shulman, Photographer of Modernist California Architecture, Dies at 98,New York Times

(http://www.nytimes.com/2009/07/17/arts/design/17shulman.html)

 

以上

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