モダンデザインを一言でいうとシンプルなデザインということになるだろう。
広辞苑には「シンプル」とは「単純なさま」とある。シンプルとは、色・かたち・素材が簡素で抑制されているさまである。
シンプルはモダニズムの専売特許ではない。また、建築やプロダクトのデザインに限られるというわけではない。シンプルという価値観はどこから来たのか。シンプルの具体的な現れ方とは。シリーズ《シンプルの系譜》では、さまざまな切り口でシンプルの様相を探ってみる。
北欧デザイン に親近感を感じる日本人は多い。
自然の素材、無駄のないすっきりとしたデザイン、クラフト感のある優しいフォルム、穏やかな色づかい、飽きのこない完成度の高さ、実用性など、北欧の家具、陶器、ガラス、テキスタイルは世界中で人気だ。
世界中で認められた、温かく品位のあるシンプリシティを生み出した北欧モダンの背景を探ってみる。
アーツ・アンド・クラフツの理想を実現した 北欧デザイン
スウェーデンは北欧のなかでも最も早く近代工芸運動が始まった国であり、その母体となったスエーデン工芸協会が設立されたのは1845年とかなり早い時期である。
イギリスでアーツ・アンド・クラフツ運動が本格化するのが1880年ごろからであり、バウハウスにつながるドイツ工作連盟の結成が1907年であることを思えば、北欧での近代工芸運動がいかに早く始まったかが分かる。
フィンランドのクラフツ・アンド・デザイン協会(1875)、デンマークのデンマーク工芸協会(1907)、ノルウェーのノルウェー工芸協会(1918)など、北欧のほかの国でも工芸の近代化の動きは早かった。
北欧で本格的な工業化が本格化するのが第一次大戦後の1920年代。北欧は手仕事と農業で成り立つ素朴で貧しい森の国だった。他のヨーロッパの国に比べ工業化が遅れて始まった分、20世紀始めまで北欧ではギルドによる手工芸の伝統が色濃く残っていた。
北欧での工芸の近代化の動きが早かった背景には、産業革命以降、工業製品が急速に普及するなかで失われていく自国の伝統への危機感があったからだといえる。
「日常生活に美を」。後にスウェーデン工芸協会のディレクターに就任した美術史家グレゴリー・ポウルッソンのこの言葉は、スウェーデンの工芸近代化のスローガンとなった(Better Things for Everyday life, 1919)。
アーツ・アンド・クラフツ運動が機械化を否定し一品生産の呪縛に捕らわれて行き詰まり、一方ドイツ工作連盟は工業化におけるデザインの問題に傾注するなかで、伝統とモダン、手仕事と機械、工芸品と工業製品のバランスをとった北欧デザインは、アーツ・アンド・クラフツ運動が実現できなかった理想を実現した姿であると言ってよいかもしれない。
ミッド・センチュリー・デザインに影響を与えた 北欧デザイン
シンプルなデザインの北欧家具は、装飾を施した重厚な家具の伝統があるヨーロッパではあまり評価が高くなかった。白木(生地のままの無塗装に仕上げ)の家具は安物の代名詞でもあった。
ビートルズの曲Norwegian Wood (1965)は実は「ノルウェーの森」ではなくて、「ノルウェーの木材」の意であり、北欧産の木を使ったインテリアへの揶揄を意味している。
北欧デザイン が世界的に注目を集めるきっかけになったのが1950年代のアメリカにおいて巡回展示された「スカンジナヴィアのデザイン」展だった。戦後、家を持ったアメリカのベビーブーマーたちにとって、シンプルで気の利いた北欧デザインは人気が高く、北欧家具を置いたリビングルームは憧れとなった。
北欧デザイン を経由したアーツ・アンド・クラフツの精神は、ミッド・センチュリーのデザインにも影響を与えている。
フィンランドの建築家エリエル・サーリネンは、アメリカに移住してデトロイトのクランブルック・アカデミー・オブ・アート(1932)の校長に就任する。アーツ・アンド・クラフツやバウハウスなど、ヨーロッパのデザインが伝えられる。息子のエーロ・サーリネンとチャールズ・イームズはそこで学び、その後共にサーリネン事務所で働いている。チャールズがレイと出会ったのもクランブルック・アカデミーだった。
(左からジョージネルソン、エドワード・ウォームリー、エーロ・サーリネン、ハリー・ベルトレイア、チャールズ・イームズ、ジェンス・リゾム。1961年7月号のプレーボーイ誌より。*source : http://interior-online.net/feature_mid_century.html)
チャールズとレイは1941年にロサンゼルスに移住し、地元の航空産業などの新素材を使い、メキシコのフォークアートなど西海岸の風土の影響を受けながら、ヒューマンなモダンデザインを展開してゆく。ミッド・センチュリーのムーブメントは、工業国アメリカで実現したアーツ・アンド・クラフツの理想形 ― 機械とアートの幸福な関係 ― と呼べるかもしれない。
エーロとチャールズはクランブルック時代に、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトの曲げ木加工による一連の椅子に影響を受けた作品を作り、その後西海岸に渡ったチャールズは、DCW(1944)においてプライウッドを3次元加工した椅子の製造に最初に成功する。そしてデンマークの建築家アルネ・ヤコブセンは、イームズらの技術を進化させ、背と座を一体化した椅子アントチェア(1951、通称アリンコチェア)を生み出す。
北欧デザインは、インターナショナル・スタイルと呼ばれ国籍をなくしたモダンデザインが、ローカルな個性と豊かさの可能性に改めて気づくきっかけにもなった。
(LCW, eames|vitraより)
(Photo by Naoya Fujii-Ant Chair)
日本とも類似する北欧デザインにおける<シンプルという倫理>
「日本の工芸品や人生への姿勢がどうしてフィンランドのそれとよく似ているのか不思議である」。フィンランドのデザイナー カイ・フランクの言葉である。
カイ・フランクKaj Franckは、1950年代にアラビア製陶所(現イッタラ)のチーフデザイナーを務めた人物で、スクエアな白磁「キルタ」KILTAやカラーグラス「カルティオ」KARTIOなどの作品は日本でも有名だ。「フィンランドの良心」とも言われたこの巨匠は、1950~60年代に都合3回来日し、日本の農村風景や市井の人々の表情や古道具などに魅了された。
(Kaj Franck,*source : https://en.wikipedia.org/wiki/Kaj_Franck)
カイ・フランクが直感した北欧と日本の類似性とは一体どんなものだったのだろうか。
それは、人間は自然と対峙する存在でありながら、同時に自然の一部でもあるという自然感、あるいは自然と人間との関係に対する倫理感のようなものではなかったか。
人間は、自然の中で、自然を利用して生きる必要がある。人間は理性を駆使して合理性を追求しながら、同時に周りの環境に対して新たな親和的な関係性を創り出さなければならない。
こうした自然感や倫理観が人工物でありながら環境と親和的な関係性を結ぶことが可能な自己抑制的なデザインを生み出した理由ではないか。
自然素材に対する姿勢、無駄のない簡素な造形、手仕事や伝統への尊敬、機械化・工業化との距離のとり方などの点における、北欧と日本との類似性を生んだ背景なのではないか。
来日して工場見学や作品批評の際にカイ・フランクが口にした言葉は「仕事が多過ぎる」だったそうだ。それはカイ・フランクが考えていたデザインの持つべき倫理性、<シンプルという倫理>をよく言い表している言葉だ。
北方の森の国という辺境の地に遅れてやってきたモダニズムは、葛藤の中で、独自の自然感と倫理観を生んだ。それは無国籍を標榜するインターナショナル・スタイルにはなかったローカリティを通じ、モダニズムに新なた豊かさと奥行きを生み出した。それは極東の四季の国とも通底する<シンプルという倫理>を生み出した。
北欧デザインという《シンプルの系譜》はそう教えてくれる。
参考文献:
長久智子 論文「1950年代における北欧モダニズムと民藝運動、産業工芸試験所の思想的交流」(2015)
Website Svensk Form available at
http://svenskform.se/en/about-svensk-form/history/
Website Swedish Design.org available at
http://swedishdesign.org/Classic/The-history-of-Svensk-Form/Svensk-Form-/
海野弘 『モダン・デザイン全史』(美術出版社、2002年)
以上
text by 大村哲弥