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失われつつある「奥」を求めて~ 槇文彦 『見えがくれする都市』とヒルサイドテラス<後編>~

失われつつある「奥」を求めて~ 槇文彦 『見えがくれする都市』とヒルサイドテラス<後編>~

<後編>ではヒルサイドテラス第3期から最終期に当たるヒルサイドウエストを訪ね、槇文彦 によって実践された「奥の思想」を探ってみる。 <古代の猿楽塚を取り込んだ、時を重ねるデザイン> 第3期にあたるD棟とE棟は、第2期のC棟と一体となり、3棟が猿楽塚を中央に抱くように配置される。猿楽塚は計画地に残されていた古代(古墳時代後期 6~7世紀)の遺跡だ。 「建築とはリファレンス(引用者注:参考項)が多いほ […]
失われつつある「奥」を求めて~槇文彦『見えがくれする都市』とヒルサイドテラス<中編>~

失われつつある「奥」を求めて~槇文彦『見えがくれする都市』とヒルサイドテラス<中編>~

ハーバード大学のアーバンデザイン学科で教鞭を執っていた 槇文彦 が、日本に帰国して槇総合計画事務所を作るのが1965年。37歳の時だ。 1967年、 槇文彦 はオーナーである朝倉家と出会い、ヒルサイドテラスの設計が始まる。 <日本におけるアーバンデザインの到達点。ヒルサイドテラス> ヒルサイドテラスは、代官山駅にほど近い旧山手通りの両側に、第一期のA・B棟の設計開始の1967年から、最終期となった […]
失われつつある「奥」を求めて~ 槇文彦 『見えがくれする都市』とヒルサイドテラス<前編>~

失われつつある「奥」を求めて~ 槇文彦 『見えがくれする都市』とヒルサイドテラス<前編>~

見田宗介は、世界人口の増加率曲線は1970年前後に変曲点があり、1970年前後は、20世紀後半に起こった社会の爆発的拡大という時代が世界的に転換点を迎えた時期だと述べている。(見田宗介『社会学入門』 岩波新書 2006)。ローマ・クラブが『成長の限界』を発表したのが1972年であった。 日本の都市は、高度経済成長期の人口の爆発的流入を背景に、建物の大規模化、高度化、高密度化が進み、市街地の無秩序な […]